推し変 しそうになるのは嫌いになった訳じゃなくて、それだけアイドルを信用してるってことなんだ

推し変

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私は必ず 推し変 するけど、アイドルの皆さんにはどうか許して欲しい。

「推し変」は、そのアイドルを嫌いになったわけじゃなくて、むしろ信用していることの表れなのだ。

もうこれ以上好きになれなくなったとき、最大限に信用しているときに私は推し変をする。

私は推し変を信用できる友達を探すことだと思ってる。

そこに浮気という感覚はなくて、推し変するたびに友達が増えていく感覚なのだ。

 

アイドルを友達、親友として見ている

アイドルのみなさんは推し変についてどう考えているのだろうか?

もしオタクの推し変に嫉妬するアイドルの方がいるのなら、オタクがアイドルに恋愛感情を抱いているという考えが少し違う。

 

 

私は中学生の頃、みんなと同じようにクラスの女の子が好きだった。それが高校生になり突然アイドルを好きになる。いじめを受けて、友達がいなくて、ひとりぼっちで苦しかったから、優しいアイドルを好きになった。命を救われた。

 

私がアイドルを見るのは恋愛感情よりもどちらかというと、心の支えになってくれる友達や親友として、命の恩人としてである。

人間不信が原因でアイドルを好きになったので、恋愛感情というところまで気持ちがたどりつかなかった。生きることで精一杯だった。

 

さまざまな理由はあると思うけど、オタクがアイドルを見るのには何かしら理由がある。

何か”理由”がなければ、偏見を持たれてしまうリスクを背負ってまでアイドルを好きにはならないだろう。

それでもアイドルは私の心の支えになってくれた。

 

アイドルを好きになることには限度がある

私が好きだったアイドルは、いつも同じ笑顔で接してくれて、8年間一度も裏切らなかった。いじめをうけ、心の支えを求めていた私はそのアイドルがますます好きになっていく。年月が過ぎるたびそのアイドルのことを信用していった。

でもある時アイドルに対する気持ちが行き場を失った。もうこれ以上好きになれない。もうこれ以上信用できない。と思った。

 

アイドルは世の中の誰よりも信用できる。(だって8年間1度も裏切らなかったんだから。)でもアイドルが見せる姿はすべてステージやカメラの中からである。

そこには必ず「アイドルだから」という言葉がついてまわった。アイドルはアイドルだから裏切らないのかもしれない。

アイドルに仮想の姿がある以上、100%は信用はできない。

アイドルを好きになることには限度がある。

 

 

私はこの世に希望を失わないように信用できる何かが欲しくて必死でアイドルを好きになった。

みんなみたいに信用できる友達が欲しかった。

 

アイドルはいつも変わらない笑顔で優しい。握手会で顔を覚えてくれた。目を会わせてくれた。ブログやSNSでいいねをくれた。

でもそれがアイドルから貰えることの最大だった。

命を助けてくれたはずのアイドルなのに、こんなに信用しているアイドルなのに、それだけでは寂しい。

もっと好きになってとか、ずっと好きでいてなんて言葉が苦しかった。もう99パーセント最大限に好きだし、最大限に信用している。もうこれ以上好きになれない。あなたがアイドルである限り、残り1パーセントがどうしようもならない。

でもそれはアイドルが変わらず、パフォーマンスをしてくれているということでもある。ずっと変わらず優しくて楽しくて。

だからこそ、ここまで信用できたし、アイドルより信用できる人なんてこの世にいないと思っている。

 

 

もちろん推し変することに罪悪感を感じてる。

それでも私は本当に信用できる人を探すため、推し変を選択する。

 

「推し変」は、そのアイドルを嫌いになったわけじゃなくて、信用する人を探すという意味なのだ。

 

もう少しだけ、アイドル達の優しさを集めて、現実の世界に本当に信用できる友達を見つけに行きたい。

それまで、私は必ず 推し変 するけど、アイドルの皆さんにはどうか許して欲しい。

 

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